今日は、自修館中等教育学校の生徒が、課外学習のためやって来ました。伊勢原市文化財課の説明で、郷土博物館を見学し、地域の歴史や文化について学んだようです。教科書では学ぶことのできない良い機会となったことと思います。
国の歴史や伝統的な文化の基を形成しているにもかかわらず、神道や仏教など宗教教育については学校では学べないのが現状です。そこで、本日は「神道の教え」についてご説明いたします。【『神道百言』(神道文化叢書・岡田米夫著)を参考】
仏教やキリスト教には、開祖や教義・教典がありますが、神道にはそれらがありません。前者2つが “ 教え ” なのに対し、神道は柔道、剣道、茶道、華道と同じように “ 道 ” です。
ここで、神道の教えについて、その疑問を解く1つの鍵となるのが「三種の神器」(さんしゅのじんぎ)です。
江戸前期の儒学者・熊沢蕃山(くまざわばんざん 1619-1691)は、『集義和書』(しゅうぎわしょ)に、
「三種の神器は則(すなわ)ち神代(かみよ)の教典也 〔中略〕 器を作って象(かたち)とす。玉を以て仁の象とし、鏡を以て智の象とし、剣を以て勇の象としたまへり」と説きました。
つまり、「鏡は智・玉は仁・剣は勇」とし、この3つの徳を尊ぶことを諭されたというものです。
また、南北朝時代の公家・北畠親房(きたばたけちかふさ 1293-1354)は、『神皇正統記』(じんのうしょうとうき)に、
「三種の神器世に伝ふること、日月星の天にあるにおなじ、鏡は日の体なり、玉は月の精なり、剣は星の気なり、ふかき習ひあるべきにや」と記しています。
神道の道統(どうとう=道を伝えた系統)は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)から御歴代の天皇に至る道を根幹としています。世に日・月・星があるように、三種の神器の鏡・玉・剣の3つは、宇宙の真理を表しています。
上記の文章に続き、鏡は正直、玉は慈悲、剣は智慧の徳を表しているとしています。
これら引用したものは、“神典”(しんてん)といわれる『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』、『風土記』(ふどき)、『古語拾遺』(こごしゅうい)、『延喜式』などの古き教えに基づくものだと思います。
『古事記』の序文に、「稽古照今」(古えをかんがえ今を照らす)とありますが、先人の知恵や努力に習い、後に続き、更には発展させることこそが道の道たる所以かと解釈いたします。
≪…「三種の神器」…≫の本性を、数学の基となる自然数(数の言葉ヒフミヨ(1234))について大和言葉の【ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と】の平面・2次元からの送りモノとして眺めると、[鏡][剣]の本性は、『幻のマスキングテープ』に、[勾玉]は、[コンコン物語]になるとか・・・ 岡潔数学体験館で、自然数のキュレーション的な催しがあるといいなぁ~