‘なぜ?なに?’ カテゴリーのアーカイブ

雷さま

2016年7月15日 金曜日

靖國神社では戦歿者の御霊(みたま)を慰める第70回みたままつり(13-16日)が行われ、盆行事として境内には多くの献灯(みあかし)が掲げられています。

また、来宮神社(静岡県熱海市)の例祭(14-16日)にあたり、禰宜が宵宮祭(よいみやさい)に参列しました。

来宮神社(静岡県熱海市)

来宮神社

このところ大気が不安定な状態となり、短時間の大雨や落雷などが一部地域で起こっています。

爽やかな夏空の広がる梅雨明けを期待するところですが、予報ではまだ先になるようで、梅雨明け頃に見られる〝送り梅雨〟や〝梅雨雷〟ではなさそうです。

北野天満宮

北野天満宮

さて、今日は雷神の話です。

陰暦六月を雅名(がめい)で「鳴神月」(なるかみづき)といいますが、鳴神(なるかみ)や鳴雷(なるいかずち)は雷(かみなり・いかづち)の意で、「厳つ霊」(いかつち)のこと。また、急激な雷鳴(らいめい)を「霹靂」(へきれき・かむとけ・かみとき)といい、雷を俗称で雷公(らいこう:雷神の異称)ともいいます。

『古事記』では、火の神を生んだことにより去ってしまった伊邪那美命(いざなみのみこと)を慕い、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は黄泉(よみ)の国へ追いかけます。道半ばの国づくりのため、戻ることを願う伊邪那岐命が目にした姿は、頭に大雷(おおいかづち)、胸に火雷(ほのいかづち)、腹に黒雷(くろいかづち)、陰(ほと)に拆雷(さくいかづち)、左手に若雷(わきいかづち)、右手に土雷(つちいかづち)、左足に鳴雷(なるいかづち)、右足に伏雷(ふしいかづち)と八雷神(やくさのいかづちのかみ)が生じ、恐れ逃げ帰る伊邪那岐命に対して、八雷神を追わせたとあります。

天満宮・天神社は菅原道真(すがわらのみちざね)を御祭神とする神社で全国に約12000社鎮座しています。命日である7月25日を中心に天神祭(てんじんまつり・てんじんさい)が行われます。天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)は道真公を神格化した名称(神号)ですが、学問に対する偉大な事績やその人柄から、天神信仰は全国に広まりました。道真公の没後、京都御所に落雷があり、多くの人が亡くなったのは怨霊(おんりょう)によるものと恐れられ、京都の北野に天満宮を建てたのが始まりですが、雷神信仰とも結びつきました。

兼務社の雷電神社(伊勢原市串橋)もそうですが、賀茂別雷神社鹿島神宮春日大社なども雷神をおまつりする神社です。

俵屋宗達(たわらやそうたつ)の「風神雷神図屏風」(ふうじんらいじんずびょうぶ)では、鬼の姿として描かれている恐ろしい雷神、一方で稲妻(いなづま)の語に表れるように、稲や水の恵みをもたらす「厳霊」(いかつち)の力を発揮する神さまです。

子供たちに〝雷さま〟という親しみをもって話をしたいものです。

祖霊とともに生き続ける

2016年7月8日 金曜日

昨晩、本日と2日間にわたり神葬祭(しんそうさい)のご奉仕がありました。

神葬祭は神道による葬儀で、日本民俗の固有の信仰に基づくものです。

人生最後の重儀にあたり、誠(まこと)を以てお仕えしますが、人の終わりを悲しみ、遺徳(いとく)を偲び、霊の安定、鎮魂(ちんこん)を祈ります。

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葬場祭(そうじょうさい=告別式)の前夜に行うのが通夜祭(つやさい)であり、殯(*もがり)の遺風(いふう)です。

* 殯(もがり)・・・荒城(あらき)。古代、貴人の本葬をするまで、棺に納めて仮に安置しておくこと。また、その場所。

通夜祭では、「霊魂(みたま)の再び帰りきまさむことを祈(ねぎ)まつり」と祭詞(さいし)を奏上しますが、蘇(よみがえ)りを祈る祭儀です。

御霊(みたま)は、亡き父母祖先の居る幽世(かくりよ)へと旅立ちますが、国土からそう遠くないところで、祖霊(それい)とともに生き続けます。

なまめかしけれ

2016年7月7日 木曜日

今日は二十四節気の「小暑」(しょうしょ)で、初候は「温風至」(あつかぜいたる)です。

暑気(しょき)に入り、暑中見舞いを書く頃合いですが、日差しは灼熱(しゃくねつ)、炎暑(えんしょ)、炎熱(えんねつ)といった表現がぴったりの一日でした。

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さて、今日は五節句の一で「七夕」(たなばた・しちせき)です。

牽牛星(けんぎゅうせい)の彦星(ひこぼし)と織女星(しょくじょせい)の織姫(おりひめ)が天の川をはさんで出会う伝説は、中国から伝わった「星祭」ですが、手芸の上達を願った「乞巧奠」(きこうでん)の風習と合わさり、日本古来からの「たなばたつめ」(棚機つ女)伝説と結びついて、宮廷・貴族から民間に広まり、手習いの上達を願う短冊行事になりました。

また、東北の夏を象徴する青森の「ねぶた」や秋田の「竿灯」(かんとう)は、盆前の穢(けが)れを水に流す禊(みそぎ)ですが、日本固有の民俗行事として「七夕祭」の一つとなっています。

たなばたまつるこそなまめかしけれ ( 七夕を祭る行事は優雅である ) 『 徒然草 』

大祓詞

2016年6月22日 水曜日

全国津々浦々の神社同様、当社では6月30日(木)午後2時に「夏越大祓」(なごしのおおはらえ)を執り行います。

境内の大祓神事では、神職とともに参列者は大祓詞(おおはらのえことば)を繰り返し唱えます。

大祓詞物語

親子で読む 大祓詞物語

本日、『親子で読む 大祓詞物語』(吉村政德著)という分かりやすい絵本をご恵送頂きました。

著者は「大祓詞は般若心経(はんにゃしんぎょう)の約3倍(約900字)で、君が代(詠み人知らず)と同じで誰が作ったものか明らかではない。民俗全体の信仰の詞として生まれた」と記しています。

昔から日本人は清浄を尊びますが、神さまの働きを得て〝 祓え 〟により本来の自分に立ち返ると信じてきました。そのことを理解してもらえる1冊ではないでしょうか。

司馬遼太郎は『この国のかたち』の中で、〝神道は真水〟といっていますが、淀みや滞りから元の真水に返る、蘇(よみがえ)るのが大祓の根底ともいえます。

風の話

2016年5月12日 木曜日

風薫る、薫風(くんぷう)、風の香(かぜのか)、南薫(なんくん)、といった季語は爽やかな印象ですが、昨日は「青嵐」(あおあらし・せいらん)を通り越した大南風(おおみなみ)の強風が吹いて、外の祭儀もてんやわんやの騒ぎとなりました。

昔から、春の東風を「こち」、夏の南風を「みなみ」「はえ」、梅雨期の南風を「くろはえ」(黒南風)、梅雨明け頃の南風を「しらはえ」(白南風)などと表現し、更には地方によって異なる名称が存在するのはとても興味深いものです。

人形

人形

さて、「夏越大祓」(なごしのおおはらえ:6月30日)の人形(ひとがた)の申込みが始まりました。

参列者一同で唱える「大祓詞」(おおはらえことば)には「・・・科戸(しなど)の風の天(あめ)の八重雲(やえぐも)を吹き放つごとく・・・」とあります。

「科戸の風」とは、風の神である級長戸辺命(しなとべのみこと)の名から風のことをいい、「風が大空にかかる折り重なった雲を吹き放つように」との意です。

神さまの風の威(い)により、諸々の災禍(さいか)が吹き祓われることを願います。

神輿担ぎ

2016年5月1日 日曜日

昨日から「国府祭」(こうのまち)に頒布(はんぷ)する粽(ちまき)づくりに取り掛かっています。

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今朝は新緑に包まれた杜(もり)の中で、国府祭の神輿渡御(みこしとぎょ)に向けて、年番の神戸(ごうど)青年会が神輿担ぎの練習を行いました。

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何十年も担いでいる先輩方から骨法(こつほう)を習いながら、繰り返し練習し、呼吸を合わせて機微(きび)をつかんでいる様子でした。

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伝統の暴れ神輿ですが、綺麗に格好良く、神さまがお喜びになるように威勢良く担いで欲しいと思います。

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明鏡止水の心得

2016年4月23日 土曜日

前日の雨も上がり、例祭当日(22日)は青空が広がる上天気になりました。

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本年度は神社本庁統理代理・神奈川県神社庁理事・箱根神社宮司様を献幣使(けんぺいし)にお迎えし、定刻通り午前10時に例祭式を厳修しました。

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参集殿前で手水(てみず)の儀を済ませ、氏子青年会の鉄棒(かなぼう)を前導(ぜんどう)に、宮司以下祭員、舞姫(まいひめ)、本庁幣唐櫃(ほんちょうへいからひつ)・献幣使・同随員、総代及び氏子崇敬者が境内に設けた祓所(はらえど)へと向かいました。

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宮司以下祭員全員が、年に一度の正服(せいふく)に身を包んで威儀を正しましたが、式後の参列者の言葉に「心地よい緊張感に包まれた」とありました。

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祭祀にあたっては、身を清潔にする「外清浄」(げしょうじょう)と心の清浄を期する「内清浄」(ないしょうじょう)を旨とします。

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清浄無垢(せいじょうむく)を期して明鏡止水(めいきょうしすい)の心得を第一義とするわけで、祭儀に先立つ「手水」と「修祓」(しゅうばつ・しゅうふつ)の重要性がここにあります。

浦安の舞

浦安の舞

天地(あめつち)の神にぞ祈るあさなぎの海のごとくに波たたぬ世を

昭和天皇の御製(ぎょせい)を神楽歌(かぐらうた)にした「浦安の舞」に、国土安泰の祈りを重ねて捧げました。

良き・美しき・正しき言葉

2016年4月3日 日曜日

昨日に引き続き、今日も兼務社の例祭です。

4月第1週目の日曜日は、八坂神社(平塚市入野)、熊野神社(平塚市千須谷)、十二柱神社(伊勢原市伊勢原)、雷電神社(伊勢原市串橋)と例年のことながら4社重なり、宮司と禰宜が2組に分かれてご奉仕にあたりました。

十二柱神社

十二柱神社

午前中の一時、小雨が降りましたが、各社とも予定の行事に大きな変更もなく安心しました。

旧村社のお祭りですが、市長や衆議院議員、県議会議員も参列して花を添え、何より子供たちが神輿や囃子(はやし)を盛り上げて、大人も元気をもらっていました。

雷電神社

雷電神社

祝詞(のりと)の起源は、天岩戸(あめのいわと)神話でアメノコヤネノミコトが「フトノリトゴト」を奏上したことに始まるとされます。

「フトノリトゴト」、「ノリトゴト」、神や天皇がいい聞かせる「ノル」(宣・告)、祈りの「ノリ」、霊威が乗り遷る「ノリ」など、その語源は様々な説があります。

『万葉集』に、「言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国」「敷島(しきしま)の倭(やまと)の国は言霊の佐(たす)くる国ぞ」とあるように、古くから〝良き・美しき・正しき〟言葉には、麗(うるわ)しきものを生み出すという言霊の力が信じられてきました。

ご神前で「例祭祝詞」(れいさいのりと)を奏上しつつ、お互いに良き言葉を交わしながら和やかな一日であるよう願いました。

神の木の花

2016年3月21日 月曜日

昨日は福岡市や名古屋市、今日は関東でも逸速(いちはや)く東京で桜(染井吉野)が開花しました。

当社では、昨年が25日、一昨年が26日に開花していますが、数日で花芽の生長も一気に進みそうです。

境内では、椿(つばき)が大きな花を咲かせ、参拝者の目を楽しませてくれています。

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現在、境内一円に強い香りを放っているのは、「山榊」(やまさかき)「姫榊」(ひめさかき)、あるいは「非榊」(ひさかき)などと称される「柃」(ひさかき)の花です。

ツバキ科の常緑小高木で、葉の縁(ふち)に鋸歯(きょし)があり、雌雄異株(しゆういしゅ)なのが特徴です。

下の写真では、白色5弁花の中に、多数のおしべを確認できますが、これは「雄花」です。

雄花

雄花

榊は一般的にツバキ科の常緑樹のことをいい、古くは一年中青々とした常緑樹を総称していったようです。

木偏(きへん)に神と書くだけでも神々しさが表れていますが、「境木」「栄木」「賢木」など、まさしく神事に相応しい呼び名といえます。

雌花

雌花

今晩は総代奉仕を終えた方々で組織する「榊会」の役員会が開催され、「第72回榊会正式参拝」は、4月8日(金)午後6時に行うことが決まりました。

日本の原点

2016年3月14日 月曜日

今年は第一代・神武天皇が崩御(ほうぎょ)されてより2600年の式年(しきねん)を迎えます。

崩御日にあたる4月3日には、「神武天皇山陵」(畝傍山東北陵:奈良県橿原市大久保町)において、二千六百年式年祭の儀が執り行われます。

畝傍山東北陵は〝うねびやまのうしとらのすみのみささぎ〟と読みます。

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また、神武天皇をおまつりする橿原神宮(かしはらじんぐう)では、神武天皇祭が執り行われます。

最古の正史といわれる『日本書紀』には、「橿原」は日本建国の地として記され、日本の原点ともいえます。