国旗「日の丸」
「日の丸」は平安時代末期の源平合戦のころから、扇や旗のデザインとして登場します。
また、各国との貿易の折に、朱印船(しゅいんせん)の「船印」(ふなじるし)として使用され、船籍(せんせき)を示す「国旗」としての役割を果たし始めたとされています。
「日の丸」が、船印・国のしるしとして定められたのは、幕末にペリーの黒船が来航した直後の安政年間で、明治政府は明治3年(1870)1月27日に太政官布告(だじょうかんふこく)で商船規則を制定し、旗の規格を定めました。
平成11年には、それまで慣習法であったものを「国旗及び国歌に関する法律」(国旗・国歌法として明文規定されました。日章旗(にっしょうき)の寸法は、「縦を横の10分の7とし、かつ、日章の中心の位置については、旗の中心から旗竿(はたざお)側に横の長さの100分の1偏した位置とすることができる」と制定されました。
日章旗(にっしょうき)は、さし昇る太陽を象(かたど)ったもので、万物に恵みを与えてれる自然の恵みに感謝する日本人の心を表しています。また、赤は偽(いつわ)りのない真心を、白地(しろじ)は清浄を尊ぶ日本人の生き方を示しています。そして、「丸」には終わりのない永遠の繁栄を願う気持ちがこめられています。
☆当社併設の郷土博物館には、旧社地から発掘された長さ5寸8分、横9寸8分の日の丸紋様の「布目瓦」が収蔵されています。
国歌「君が代」
「君が代」の歌詞の原歌は、延喜年間(10世紀初め)に成立した勅撰和歌集(ちょくせんかしゅう)である『古今和歌集』(こきんわかしゅう)の中に「長寿祝賀」として見られます。
この歌は「読み人知らず」ですが、わが君(私の尊敬するあなた)の長寿を祈る吉祥(きちじょう)のもので、思いやりや謙虚さを大切にする日本人の気質が表現されています。
作曲は明治13年(1880)、宮内省(くないしょう・現在の宮内庁)の楽人(がくじん)である林広守(はやしひろもり)撰、同楽人の奥好義(おくよしいさ)の作った雅楽式墨譜と洋式5線譜に基づき、海軍軍務局・宮内省雅楽所所属のドイツ人音楽家、フランツ・エッケルトが楽風に編曲して出来上がりました。
明治26年(1893)文部省(現在の文部科学省)は、「祝日大祭日唱歌」を告示して、小学校儀式用唱歌として歌われるようになりました。
「君」は天皇陛下のことを、「君が代」は天皇に象徴される日本、国民全体を示します。小石が長い年月をかけて大きな岩となり、さらにはその上に苔が生えるほど末長く、日本の国が永遠に栄えるよう願いがこめられています。
国旗の掲げ方
- 国旗は旗竿(はたざお・ポール)の最先端(最上部)まで掲げます。
【弔意(ちょうい)を表すときは球を黒い布で覆い、旗を先端よりやや下げます】 - 掲げるのは日の出から日の入りまでで、雨天や荒天のときは掲げません。
- 掲揚(けいよう)や降納(こうのう)の折には、起立、脱帽、威儀を正して敬意を表します。
- 家の門前に掲げる場合には、外から見て向かって左側に掲げます。
- マンションや団地などのベランダに掲げる場合には、旗竿をやや斜めにして掲げ、旗の一部がものに掛からないようにします。
国際試合や国際大会などで、各国の国旗掲揚や国歌演奏の際には、相手国にも敬意を払うのがマナーです。
※家庭用国旗のご用命は社務所までお尋ねください。